芋くらゐは掘れる。政治問題が起れば、一寸政治談も出來る、一寸歌も讀める、笛も吹ける、何でもやれると云ふ人間でなければならぬ。之は隨分難かしい注文で、何でも悉くやれる譯にも行くまいが、成るべくそれに近付きたい。所謂何事に就いても何か知ることが必要である。之は教育の最大目的であつて、斯くてこそ圓滿なる教育の事業が出來るのである。茲に至つて人格も亦た初て備はつて來るのであらうと思ふ。
然るに今日では妙に窮窟なることになつて居て、世の中に一種偏窟な人があれば、『あれは一寸學者風だ』と云ふが、實は人を馬鹿にした話である。又た自分も一種の偏窟な人間であるのを、『おれは學者風だ』と喜んで居る人もあるが、僕の理想とする所はさうでない。『あれは一寸學者見たやうな、百姓見たやうな、役人見たやうな、辯護士見たやうな、又た商人のやうな所もある』と云ふ、何だか譯の分らぬ奴が、僕の理想とする人間だ。然るにそれを形の上に現はして、縞の前垂を掛けて居るから商人だ。穢い眼鏡を鼻の先きに掛け、髭も剃らず、頭髮を蓬々として居れば學者だと云ひ、其上傲然として構へて居れば、愈々以てエライ學者だと云ふやうに、圓滿なる發達の出來
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