には菊花の栽培法に就いて、如何なる秘密でも知つて居ると云ふ者がある。或は龜の卵を研究するに三十年も掛つた人がある。さう云ふ人は、人間の智惠の及ぶ限り龜の卵の事を知つて居るであらう。其他文法に於ける一の語尾の變化に就いて二十餘年間も研究した人がある。さうすると其等の事柄に就いては餘程精通して居るが、それ以外のことは知らぬ。是は宇宙の眞理の攻究であるから、第四に述べた所の目的に適つて居る。されど人間としてはそれだけで濟むまい。人間は菊の花や、龜の卵を研究するだけの器械なら宜いけれども、决してさうではない。人間には智識あり、愛情あり、其他何から何まで具備して居るを見れば、必ずそれだけでは人生を完うしたと云ふことが出來ぬ。して見れば專門の事は無論充分に研究しなければならぬが、それと同時に、一般の事物にも多少通曉しなければ人生の眞味を解し得ない。今日の急務は餘り專門に傾き過ぎる傾向を幾らか逆戻しをして、何事でも一通りは知つて居るやうにしなければならぬ。即ち菊の花のことに就いて云へば、おれは菊花栽培に最も精通して居る、それと同時に一寸大工の手斧ぐらゐは使へる、一寸左官の壁くらゐは塗れる、一寸百姓の
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