ねばならぬ。日本に於ては、或る事に就いては、幾らか學者を鄭重にする風があるけれども、概して鄭重にはしない。一寸鄭重にするのは何う云ふことかと云ふと、先づあの人は學者であると云へば、一寸何かの會へ行つても、上席に座らせるやうな形式的のことをする。けれども亦た一方に於ては、どんな學問をして居ても、學問にはそれ/″\專門のあるものだが、それを專門に研究することを許さない。少しく專門に毛が生えて來ると、こちらからもあちらからも引張りに來て、『おれの所へ來て呉れ』と云ふ。『イヤおれは斯ういふ學問をする積りだから行けない』といふと、『目下天下多事だ、是非君の手腕に據らなければならぬ。君のやうな人はもう其上學問をする必要がない、俸給はこれだけやるから』などゝ云つて誘ひ出すのである。さうすると本人もツイ其の氣になつて、折角やり掛けた專門の學問を打捨てゝしまひ、ノコ/\と其の招聘に應じて、事務官とか、教育家とか云ふ者になつてしまふのである。之は學者の方でも、意思が少しく薄弱であるか知れぬが、又た一方から云へば、學者を一寸鄭重にするやうで其實虐待するのである。果して鄭重にするならば、『月給は澤山にやらう、
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