寐て居て本を讀むなり何うなり、勝手にするが宜い、お前の思ふ存分に專門の學問を研究しろ』と云はねばならぬ。彼の露西亞の學者見たやうにあつてこそ、初て眞の專門學者が出來るのであるが、今日の日本では中々さうは行かない。
最後の目的、即ち教育の第五[#「第五」に白丸傍点]の目的に就いて一言せん。之は少しく異端説かも知れないが、僕の考ふるところに據れば、教育は云ふに及ばず、又た學問とは、人格を高尚にすることを以て最上の目的とすべきものでは無いかと思ふ。然るに專門學者に云はせると、『學問と人格とは別なものであれば、學問は人格を高むることを目的とする必要がない。他人より借金をして蹈倒さうが、人を欺さうが、のんだくれ[#「のんだくれ」に傍点]になつてゴロ/\して居やうが、己の學術研究にさへ忠義を盡したら宜いじやないか』と云ふ者もある。或は又た、『自分のやつて居る職務に忠勤する以上は、ナニ何所へ行つて遊ばうが、飮まうが、喰はうが、それは論外の話だ』といふ議論もある。學問の目的は、第四に述べた所のもの、即ち眞理の研究を最も重しとすればそれで宜い。人間はたゞ眞理を攻究する一の道具である、それでもう學問の目
前へ
次へ
全43ページ中31ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
新渡戸 稲造 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング