に誇れる。即ち波斯の古代文學に就いて、此人が專賣特許を得て居るのである。さう云ふ飾りの人物だから、一ヶ年三萬圓くらゐの俸給を遣つても安いものだ。日本では利休の古茶碗を五千圓、六千圓と云ふやうな金を出して買求め、之を裝飾にして居るものがある。是れは國の風習だから仕方がないけれど、之れよりも學者を國家の裝飾として居る方が宜からうかと思ふ。學問と云ふものは國の飾とでも言ふべきものである。又た個人より言へば、各自日常の談話に於ても、自然其所に裝飾が出來て萬事圓滑に行くのである。故に教育、或は學問の目的として此の裝飾を重んずることは、至當な事であらうと思ふ。
 第四[#「第四」に白丸傍点]の目的は一見した所、道樂或は裝飾に稍似てゐるが、大分に其の主眼が違ふのである。即ち第四の目的は眞理の研究である。一寸難かしいやうであるが、別に説明の要も無い。無論先きに言つた職業とは違ふ。職業を目的とする者ならば、之は果して眞理だか何だか、そんなことはどうでも構はぬ、金にさへなれば宜いのである。けれども學者と稱するものが學問をする時分に、之が果して眞理であるか無いかと云ふことを研究するのは、是は高尚な……最も高
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