格子《ちやうばがうし》の間から一寸顔を出して、私の姿をジロジロ見上げた。
「へ、いらつしやいまし……」
 私は赤くなつた。泣き顔をしながらあわててこの店へ飛び込んで来た自分が、顧みられたのだ。番頭から、てつきり、「ゐもり[#「ゐもり」に傍点]の黒焼」をでも買ひに来た客と、きめられてゐやしないかと思はれたのだ。私は急《せ》き込んで訊《き》いた。
「君のところに、その、イボタの虫つていふ薬がありますかね」
「へ、ございます、ございますが、どれほどさしあげませう」
 あまり平凡のもののやうに、番頭に云はれて私は却《かへ》つて面喰《めんくら》つたが、買ふ段になると、どんな風な計算で買ふものか、私にはまるきり観念がなかつた。
「一寸私に見せてくれませんか……」
 番頭は立つて行つて、ガラスの瓶《びん》の中に一杯つめられてある虫を私に示しながら、「これでございますが」と云つた。――それは、背中の部分がイボイボして、毳々しい緑色で彩《いろど》られた一寸五分位な、芋虫を剥製《はくせい》にしたやうなものだつた。みてゐるうちに、私は、こんな気味の悪い虫を、到底姉になぞ飲ませられるものかと思つた。姉は、虫嫌《むしぎら》ひで、三十近くにもなつてゐながら、一緒に路を歩いてゐてヤモリだのトカゲだのを見ると、キヤツと声を立てて、小娘のやうに人にかじりついたりして来たりする人だつた。
「えへ、えへ、いらつしやいまし……」
 不意に、格子障子があけられて、奥からゴマ塩頭のツルツルと滑つこい皮膚を持つた六十あまりの童顔のぢいさんが、店へ出てきて、私の前で手をついて、屁《へ》つぴり腰《ごし》をしながらペコペコ頭をさげた。
「へえ、これはイボタの虫と申しましてな、煎《せん》じて飲みますと、たいへんに効能のあるせき[#「せき」に傍点]どめ薬でありましてな、昨年来、世間に悪い風邪が流行《はや》り出しましてからはな、よく利く薬だと申して、上方様《うへつがた》などでも沢山にお求めになる方がございましてな……」
 ぢいさんは、慣れ切つた調子でべちやくちや饒舌《しやべ》り出した。聞いてゐるうちに、私は又腹が立つてならなくなつた。やつぱり、鼻風邪位にしか利かない下らない売薬だつたと、思はない訳に行かなくなつたからだ。瀕死の病人のために、下らない売薬を買ひに来て時間つぶしをした愚劣さが思はれて、ムシヤクシヤして、怒つたや
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