たつた一人の弟としてずつと後まで私は愛されてゐた。十から十三になるまでの間を私は東京の家から、父や母や兄弟たちからもぎ放されて、北海道の釧路《くしろ》で牧場を経営してゐる子供のない叔父の家にやられてゐたが、其の頃女学生だつた姉は、よくセンチメンタルな手紙をよこしては孤独な私を泣かせた。中学校に這入《はひ》るために私が、再び東京の家へ戻つて来た頃に、姉は木村の義兄と結婚したのだつた。中学生らしく生意気になつた私は、小さい子供の頃のやうなセンチメンタルな愛情を姉との間に保てなかつたけれども、姉に無関心で暮せるやうな時代は少しもなかつた。其の後五六年して私は放蕩を覚え、三日も四日も家をあけたあとで、荒《すさ》み切つた心になつて家へ戻つて来ることがよくあつたが、そんな時に、どんなにこつぴどく父に呶鳴《どな》られるよりも、母に泣きくどかれるよりも、さもさもきたならしい人だと云ふ風に、姉に顔を視守られることが、私には一番|辛《つら》いことだつた。姉は、併《しか》し、私が実際に放蕩の渦中にあつた時には流石《さすが》に顔をそむけてゐたけれども、あとでは私の前で、自分だつて此頃はもう相当の通人になつてゐると云ふやうに、芸者と云ふやうな境遇の女にも、好意を持つた話し方で話したりした。私は小遣銭がなくなつて、あまり頻々《ひんぴん》で母にも云ひ出せないといふ時に、きまつて姉の家へ行つた。姉は、姉子《あねつこ》の小さな達坊を私が抱くために来たのか、お金がなくなつてやつて来たのかを、敏感に察した。私の顔を見て笑ひ出して、黙つて、立つて行つて用箪笥《ようだんす》からお金を出して来てくれるといふことがよくあつた。私が、父や母の意志に反《そむ》いて作家として身を立てようと心をきめたことに就《つ》いても、父や母の悲しみを思ひやるといふ気持を除いては、私の仕事に姉はむしろ好意を持つてゐた。姉は小説好きだつた。六七年も前のことである。転任した義兄と一緒に長野へ行つてゐた姉のところへ、私は、釧路で送つた頃の少年時代の記憶を小説体の形式に書き綴《つづ》つて、三銭切手を五つも六つも貼《は》つたりして送つたことがあつた。それはただ姉に親愛を示したい気持から、無理にも自分の過去を悲しいものに色彩《いろど》つて書いたものだつたが、姉は感動して、――恐らくは書かれてゐたことの十倍二十倍もの想像を加へて読んだのであらう。
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