画のために叱ったのも、よほど用心して節倹せねばならぬと思っていたからであったろう。京都に入って後も、贅沢な玩具などを買うことは出来なかった。
私は父に叱られる事が何より怖かった。一度叱られるといつまでもそれを守らねばならぬと思っていた。尤も度々は叱られなかった、叱られた事は今も歴々と記憶している。
一つ、父の命を守り過ぎてかえって後悔している事がある。それは藩地に居た時のことで、友達に誘われ、城下の外の池へ行って、水をあびていた。そのうち友達が泳ぎ出したので、私も泳ぎたくなって、両手を突いて、足をバチャバチャさせていた。さて帰って来ると、頭の濡れているのを見つけられて、これはどうしたのかと問われた。私は偽りをいうことは出来ぬ性分なので、ありのままにいうと、祖母は、池には人取り池というのがあるといって戒め、父もこの事を聞くや、危険な時に子供同士では助け合うことは出来ぬからといって叱った。その後また友達に誘われてかの池へ行ったが、叱られるが怖さに水に這入るのを躊躇していると、卑怯だ卑怯だと罵られたのでまた這入った。これもわかって今度は父に火のつくように叱られた。それから全く池や川に這入
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