って、享保年間に私の藩で御家騒動のあった時、忠義のために割腹した者を、三代前の文武を奨励した君侯の時、特に神として祭られた、その社がある。花見はこの社の参詣をかねていたものである。
 社のついでにいうが、私の家の持主の味酒神社は大山祇の神を祭ったもので、久しい以前から唯一神道でいて、社は皆|檜皮葺《ひわだぶき》、神官も大宮司と称して位も持っており、その下にも神官が数々居て、いずれも一家を構えて住んでいた。私はよくこの大宮司の内へも遊びに行った。そこの子供に私と同年輩位のがあって、武知先生へも一緒に行く仲間であった。読書は私より遥に劣っていた。神官の家であるから、彼らは特に弓の稽古をしていて、社の構内に朶《あーち》が設けてあった。私もここで射てみたが、弓もやはり拙かった。しかし撃剣よりは興味があるので、父にせがんで弓矢を買ってくれといったが、父は、弓など射るより確《しっか》り撃剣をせよと叱った。私は読書の方では叱られなかったが、武芸の方では、よく不勉強だといって叱られた。
 ある日大宮司の内で遊んでいた時、私のそばにそこの長男が居た。私がちょっと右へ顔をふり向けると、耳の穴が非常に痛かっ
前へ 次へ
全397ページ中83ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 鳴雪 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング