敷めいたものが出来ていて、その両側に勾欄があり、欄の外側には多くの船頭が立って多くの櫓を操る、その状蜈蚣の如くである。帆も懸けることは懸けるが、船の運びが櫓でするように出来ているから、帆の力は荷船のようにはかどらぬ。藩主が乗る時には、幟、吹流しを立て、船の出入りには太鼓を打った。
 荷船は荷を積むのがおもで、その一の胴の間というに我々一行の如きが乗るのであるから、頭を高くあげるとつかえる。櫓は舳先や艫《とも》に三、四挺あるが、櫓で運ぶという事は、よくよく順潮の時に少しやるだけで、もっぱら帆によって行く事になっている。関船もそうだが、荷船に至っては一層、風の悪い時は航海を休む。そういう際は陸の川止のような工合で、或る港で長く滞留せねばならぬ。船中では、一行の食料は、いずれも自分で弁じて積込んでいる。米はカマスで沢山用意し、干物類のようなものを数々用意し、ちょっとした鍋|俎板《まないた》庖丁膳椀皿なども用意しているので、少しも人の世話にならずに食事をするのであるが、飯だけは、船に附いている竈で、家来に焚《たか》せる。だから川止めで宿銭をドシドシ取られるような苦痛は無いが長くなると食料を買込
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