が、当分のうちは夜となく昼となく地震がある。それで家に落着いては居られぬので、その夜から門前に戸板を囲い畳を地に敷き、屏風を立てまわし、上に油紙など置いて、そこに居た。父は宅に居た。曾祖母もそんな仮小屋は厭だといって宅に居た。祖母継母私下女などは皆この小屋住居をした。
大地震の夜はその止むか止まぬに、諸大名は直ちに幕府へ御機嫌伺いに登城したが、将軍家は紅葉山に御立退になっていて、私の君侯は自ら提灯をさげて行って親しく御機嫌を伺われたという事を聞いた。幕府からは奏者番や御使番が藩々の屋敷を見舞った。君臣ともに礼儀を尽したものである。
その翌々年八月に大風があって、地震ほどではなかったが、江戸中大災害を蒙った。この時も私の藩邸はさしたる損害も無かった。
それからコロリ(虎列拉《コレラ》)の流行ったことがあった。これはいくら建築が建固でも安心は出来ぬもの。私も子供ながら非常に怖かったが、私の内には幸いに一人も患者を出さなかった。
異人、地震、大風、コロリ、これらが私が江戸に居る間に脅かされたおもなる事件であった。
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三
いよいよ一家国許へ帰ることになったが、
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