、独楽《こま》もよくやったもので、前の独楽を、後の独楽で廻いを止める事をした。その頃は大きな独楽をまわす事が流行っていた。その外、鬼ごっこ、駈けっくら、隠れん坊、すべてそういうような遊びをすると私はいつでも負けた。そうして男のくせに私は雛が大変好きであった。私の内には祖母が二人、それに継母が居たので、いくつかの雛を持っていた。私は節句になると、小さな雛などを買ってもらって立てた。よそへ行って雛の小さな膳で物を食べてみる事もあった。私の内には雛の膳が無かった。これを私は大変に残念に思った。江戸住いになる時に国許で売払ったのだと聞いた。
 寄席へも私はたまに行った。産土神の春日の社の境内に、一つ寄席があった。維新後は薩摩ッ原に移って春日亭といった。あそこで蝶之助という独楽まわしを感心して見たことがあった。義太夫は飯倉の土器坂へ一度聞きに行った。文句はよくわからなかったが、千両|幟《のぼり》の櫓太鼓の曲弾を子供ながら面白く感じた。
 子供の時の記憶で最も驚いたのは、安政の大地震であった。それは夜の四ツ時で、私はもう眠っていた。私は人に抱かれて外に出た。そして今大地震があったという事を聞いた。
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