ら重要な事件の議に与っている。また同家の嘱托で史談会へ関係して後ち、早くより幹事の一員に列していたがこの会の主幹としてもっぱら働いていた鹿児島人の寺師宗徳氏が亡って以来は、ついつい私が専務幹事とでもいうような責任を背負って、今では会計の事から、月々発行する雑誌の編輯や印刷の事務までを引受けて、おまけに校正まで私|親《みずか》らせねばならぬ事になった。この方面だけでも毎月幾日か、つぶすのだから、その他の俳事の他方面になると共に、いよいよ忙しくなった訳だ。この外かつて徒歩主義会というものを梅原喜太郎氏が設けられた頃、先達に推戴されて一同とあちこち遠足会などもした。その関係から、種々な変った人物にも接した事がある。この徒歩主義会は先年梅原氏が退かるると共に自然と廃止となった。また孔子祭典会のあった頃は、史談会からも誰れかその委員に加わってもらいたいという事で、私がそれに当って、嘉納治五郎氏委員長の下に、漢学の専門家などと共に毎年一回湯島の孔子の廟で祭典を行う時は、私も役員の徽章を付けて用弁をした。が、これは斯文会が組織を拡張する際において合併されて、私も未だ特別会員にはなっているが、その後は
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