事になった。この文章会と和歌の会とは子規氏の宅では度々開かるるのであった。その他子規氏の名の高くなると共に、漢詩家や、書家やその他の文芸家が時々出入する、居士は一々歓迎して意見を闘すという風なので、下女も遣わぬ母刀自と妹さんは、看病の外これらの接客の用向きだけでも昼夜多忙であったのだ。
 近年は碧梧桐氏がいわゆる新傾向の俳句を始めてなかなか多くの共鳴者を得ているが、一体五七五調の俳句と異った口調では誰れも知る如く、芭蕉の頃の「虚栗」蕪村の頃の柴田麦水を中心とした「新虚栗」もあったのみならず、子規氏生前の我々の中でも、一時は随分試みたのであった。それは碧梧桐虚子両氏が若い元気で重もに鼓吹したのである。私は老人だけにそれが不同意で子規氏にも話したが、氏は若い者には何でもかでも勝手にやらして置くがよいといって笑っていた。がこの変調は子規氏も時々試ることになり、私も思わず釣り込まれて幾らか作った。即ち我々仲間で始めて出した「新俳句」の巻頭にある私の句の『百年にして天明二百年にして明治の初日影』もその結果である。がこの変調は一時的のもので、碧、虚二氏も再び五七五調に立戻ってそれで子規氏の生前はそ
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