いる。これも他の人は知らぬが、多忙なる私はやはり下調べもせぬがそれでも蕪村句集の輪講で後悔しているだけには、なりたけ真面目に批評して、今度こそ当該先生の参考にもしたいと心掛けている。これはせめてもの罪亡ぼしであろう。
 またぞろ話が後の事に走ったが、子規氏の生前は、病苦を忍びながらも和歌の方面にも研究を始めて、古今集以下は月並的に落ちてしまった事を発見して、万葉以前の風を主張し、それと共に、修辞も万葉時代のものを多く用いた。そうして、これも日本新聞において意見を吐いたのでこの子規氏の説に共鳴して指導を受ける者も段々と出来た。その主なる者では、伊藤左千夫氏、森田義郎氏、香取秀真《かとりほずま》氏、蕨真一郎氏、長塚節氏、岡|麓《ふもと》氏等である。また赤木|格堂《かくどう》氏と五百木良三氏とは俳句の外この和歌仲間へも這入った。また子規氏は写生文と言うものをも始めたが、この方面では坂本|四方太《しほうだ》氏、寒川鼠骨《さむかわそこつ》氏などが最も子規氏に見出されていた。そうして、碧梧桐氏や虚子氏も俳句の外この写生文をも盛んに作って、就中虚子氏は現今でも文士中で他人の追随し得ぬ或る技量を現わす
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