行きは出来なくなって、それから神戸の病院へ入ったが、一時は危篤という報もあったので、既に東京に来ていたその母刀自や、虚子氏は看病に赴いた。幸にその時は快方に向って、それから郷里の松山で保養する事になった。そうしてその後小康を得て東京へ帰ったが、その頃から段々と行歩が不自由になって、多くは床に就いていた。尤も時々は車で外出する事もあったので、虚子氏の住んでいた猿楽町の宅へも稀には来た。或日の事子規氏が来た、闇汁会を開くからといって来たので、私も行ったが、闇汁とは、出席者が各々或る食物を買って来て、互に知らさずと厨の大鍋に投げ込む、それが煮え立った頃席上へ持ち出して、銘々の椀に入れて食う時、色々の物が出て来る、肉とか野菜とかの外、餅菓子やパンなども浮み出て来るので、いよいよ興を催おして思わず、飽食するにも及んだ。これが他の同人仲間にも伝わって、その頃はよく諸方で闇汁会を開いたものである。附ていうが、この闇汁は私の旧藩で昔から若いものが時々したもので、それは出席者が闇の夜に網を携えて野外の小川へ投じて、その網にかかったものを何か判らず取帰って鍋の中へうち込む、それから喰おうとすると、下駄の抜
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