その後一年ばかり経て、岡本の門人だという人が私の宅へ来て、我師はもう去年亡って、今年は一周忌であるから追悼の句を貰いたいといったので、私も以前の事を思い出して感慨にうたれたから一句作って与えて弔意を表して置いた事である。
 右は後の話であるが、二十六年の末ごろ、私は旧藩主の久松伯爵家から旧藩事蹟取調という事を嘱托せられた。これは二十一年頃、先帝の思召しで、三条公と岩倉公との事蹟を調べて置くようにとの仰せがあったので、それと共に維新の際いわゆる勤王党であった旧藩主が、右の両家と共に事蹟を調べる事になって、その結果二百六十の旧藩主華族諸家もこの調べをする事に御沙汰があった。けれども元々持出す事件があるならば持出せというような事であったから、それを調べぬ家々も多かった。が、私の旧藩主久松伯爵家では熱心にそれを調べられる事になってとても家職では暇がないという事から特別に私に嘱托せられたのである。なお旧藩の頃家老から大参事を勤めてその後は立憲進歩党の老人株で居た鈴木重遠氏も先輩として加わる事になった。この調べをする事蹟の範囲はもっぱら、嘉永年間米国船の渡来より、明治の廃藩までというのであって、久
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