て九円五十銭の家賃を払う事になった。こんな生活だけれども月給ではどうかすると不足を告げ、終に借金が出来るようになったので、一つそれらの整理をせねばならぬと思い付いて、廿一年に妻と相談の上彼に次女と次男とを連れさせて一時郷里の松山へ赴かせた。この少し以前、三女らくは実扶的利亜《ジフテリア》に罹って三歳で亡《なく》なっていた。そこで長女順は桜井女学校へ寄宿せしめ、私は長男健行を携えて神田の三崎町に下宿した。この際、従弟で浅井から養子に行った天岸一順というが学問のため出京していたのでこれもこの下宿へ同寓せしめることにした。知人などからは、年を取って官吏生活をしていながら下宿するのは可笑しいじゃないかといったけれども、私は平気でいた。この頃であった、独逸人のスピンネル氏が、基督教を日本へ弘めるために来てこの人は哲学にもなかなか達していたので、その門人で居た同郷人の三並良氏の通弁で度々宗教話を聞いたが、やはり私の意には満足しなかった。廿二年には暑中休暇を貰って松山の妻子を省みた。十三年に東京へ来てから十年ぶりであったので、故郷とはいえ、諸事珍らしくもあり、また人々にも歓迎された。それから翌廿三年
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