前後して他の人々も駈けつけて、官舎は忽ち大騒ぎとなった。而して森氏はその夜遂に亡くなられたがこの終焉の記録等も、辻次官の命で私が筆を執った。森氏は英国駐在の公使を久しく勤めて居られたにもかかわらず、普通教育は全く独乙《ドイツ》式で、挙国兵の基としてまず高等及尋常の師範学校に兵式体操を行わしめ、順次に小学校は勿論、中学校等にも兵式体操を行わしめ、なお一般の学校に人格気質の養成という点を厚く注意せしめられ、またこれまでは他省に属せし工科農科の大学や専門学校を、総て文部省の管理に移し、諸事統一的経済的に学政を敷かれつつあったのだが、一朝この凶変の起ったのは実に惜しい事であった。
 遡っていうが、私が東京へ転任した翌年に次男を挙げて、惟行と命《なづ》けた。十九年には三女を挙げてらくと命けた。
 私も既に月給は百円ずつ貰っていたので、その頃の物価ではこの金額でもやや寛ろぎが出来るはずだが、夫婦共に会計上に拙いので、他の同僚の如く人力車夫を抱える事も出来ず、雇い車の車夫にやっと看板の仕着せ位をして済ませ、文部省の弁当も判任官以来五銭弁当で甘んじていた。借家は最初の上六番町から下六番へ移り大分奮発し
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