、これは皆松山人で、また他から来ていて庶務課長であった南挺三氏もその一行であった。それから租税課長の竹場好明氏、会計課長の篠崎承弼氏は宇和島人であったが、これは留任した。一体岩村県令の民権主義を最も賛成して、その他常に出入りをして県令と親しかった者は我松山人なので、その訳から皆転任せしめられたのである。そこで私だが、前にもいった如く、最初、その頃では異数の抜擢に逢って、学務課で働く事が出来、肝付兼弘氏が他へ転任してからは、学務課長を命ぜられていたのであるが、私の性として新らしい事新らしい事と知識を拡めて行く、そこで明治の始めこそ、福沢風におだてられ、また民約論や三権分立論などを読んで、自由とか民権とかを神の御託宣のように思っていたのであるが、その後ブルンチュリーの国法汎論なども読み、また文部省雑誌といって西洋の新らしい論説を載せたものを読んで、段々と独逸《ドイツ》の国家主義を知る事になったから、余りに突飛な民権主義は同意せられないようになって来た。そんな事で、草間時福氏が変則中学校に拠って福沢風の民権主義を唱うるに至っても、私は学務の当局者でありながら、それほど熱心に賛成せない。そうし
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