船の方へ乗った。尤も千|噸《トン》以下で船脚も遅かったが、おまけに風波が起って動揺が甚だしくなった。私は少年の時には和船に乗ってもまださほど酔わなかったのだが、その後は回一回と船に弱くなって、汽船に乗って平穏な時さえも食事などが充分に出来なかった。そこへこの風波だからいよいよ閉口して、臥床に横わって頻りに吐いて、終には胃にあるものは吐き尽して、小量の血を吐くまでになった。私は右の如く船嫌いとはいえ、さほど動揺に逢った事もなかったのだが、今度始めて厳しい動揺に逢って非常に苦痛をした。そこでこの船は四日市へ着く規則なのだが、その沖までは達したけれども、右に廻ると暴風を横に受けるから、それが出来ない。因て無駄に沖中に四、五時間ばかり漂った末、やっと四日市の港に入った。私は元来神戸まで往って、それから別の内海通いの汽船便を取るつもりであったが、モウ船には懲り懲りしたので、四日市へ上陸してそれから陸路を神戸まで行った。その後の航海はまず平穏で、いよいよ松山へ達して帰宅して見ると、継母は既に人事不省に陥っていて、帰県した事を告げたが殆ど知れなかった。そうしてその夜死去したので、それから葬式万端の事
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