た。この人は土州人で、夙《つと》に平民主義を持っていたから、普通教育には最も意を注いで、従って私どもの学区取締にも、度々直接して諮問せらるる事もあった。そこで私はいつもハイカラであるから、何らも憚らず、聞き噛りの自由主義などを喋舌《しゃべ》った。それが、あたかも岩村氏の意に投じたので俄に抜擢されて十一等出仕の学務課勤務を命ぜられた。そこで私も今までは松山附近の学事の管理者であったのが、伊予国全体の学事に関係する事となったので、多少得意となった。そうして岩村県令の下にいよいよ小学教育の普及を謀らねばならぬと思って、その頃は東京大阪の外に、仙台と長崎と広島とにも師範学校を設けられ、段々と卒業者を出していたから近接せる広島師範の卒業者を五人我県へ招聘した。そうして県内を六区域に分って、松山伝習所の外に、宇摩郡の川之江、新居郡の西条、越智郡の今治、喜多郡の大洲、宇和郡の宇和島へも伝習所を置いた。尤もいずれも速成であるが、まずまず文部省の規定の教授法等は一般へ習わせる事が出来たのである。
しかるに間もなく文部省の視学官が視察に来る事になった。それは野村素介氏並に随行員二人であった。そこで私はそ
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