でもすると、藩主の首尾にも関係するから、各藩主が禁じていたのである。
藩邸内に住んでいる者の外出について話してみれば、まず私どもの如く家族を携えて住んでる者は毎日出ても差支《さしつかえ》無い。夜遅く帰っても許された。風呂は歴々の家の外は、自宅に無いので、邸外の風呂屋へ行った。邸内にも共用の風呂はあったが、これは勤番者が這入るので、女湯というものは無かった。だから内の家族などはいつも外の風呂へ行かねばならなかった。宮寺の縁日や花見などにも私どもは度々出かけたが、しかし朝六つ時より早く外出する事は出来なかった。
その頃盛んな山王神田の祭などは、人が雑沓するから、もし事変に出合って藩の名が出るといかぬというので、特に外出を禁ぜられていた。そこでこの祭を見ようと思う時には、病人があるから医者へ行くと称して、門を出たものである。藩の医者は、邸外に住んでいる方が、町家の者を診ることも出来て収入が多いので、よく外に住んだ。この事は藩でも許していた。それで医者へ行くということを外出の口実にすることが出来た。だから祭の日などは俄《にわか》に邸内に病人が殖えた。芝居に行く時には朝が早いから皆病人になっ
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