れと父が家禄平均の際に別の下賜金を貰ったのを合わせて、久米郡の梅本村へ少しばかりの土地を買って家屋を建築した。けれどもそれに移住は出来ないで、父は久松家の用向きで東京へ行く事になった。また私はその頃のハイカラだから田舎住居などはする気がない。因てそれは久く空屋にしてあった。しかるに石鐵県となってかようの輩にいよいよ郷居をせぬなら、かつて、藩から与えた五十円を返却せよとの達があった。そこで私は直ちに梅本の土地家屋を百円ばかりで捨て売りにしてその一半五十円を県庁に納めた。そうして残りの五十円がちょうどこの度の費用を支弁したのである。さて学区取締の給料はというと愛媛県となった界から規則が改まって六円に減額されていた。が、間も無く八円となり十円となった。これと平均額の家禄とで辛うじて一家の生計は営んでいたのである。
 ついでにいうがこの平均家禄は、前にもいった如く一戸に二十俵と一人に一人半扶持の定めであったが、石鐵県となった際、毎戸区々では大蔵省の計算上都合が悪いというので、旧新両士族に属する者の総給与高を平均して旧士族は二十石七斗となったのを毎戸へ同一に下付さるることになった。それから明治八
前へ 次へ
全397ページ中289ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 鳴雪 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング