事をして日を消しているのは無益だという説が起って、藩の出張員に向って、いっそ学問修業の命をやめて帰藩させてもらいたいといい出し、その許可を得ていよいよ東京を出発する事になった。尤も錦織左馬太郎は、先へ帰ったので、残っている由井弁三郎、山川八弥、杉浦慎一郎と共に私は三月朔日に東京を出発する事になった。そうしてこの帰途は東海道も陳腐だから、木曾海道を通って、それから伊勢参宮や奈良見物をして見ようといい合ったので、発足の日は板橋駅に泊り、それから段々と予定の道中をした。まだ記憶に残っているのは、妙義山が左り手に当って突兀と聳えていた事と、碓氷《うすい》峠を上るのに急坂でなかなか骨の折れた事などである。この峠を登る時、牛曳きが皆子供で、一人が十頭余の牛を追い立てつつ下って来る、その頃の事であるから路巾は狭く、最初はなんだか角で突かれそうで怖かったが、別段な事もなく峠へ達した。峠の茶屋では力餅というを売っている、私等の一行もそれを喰って力を得た。浅間山の麓をめぐる時はそのあたりが渺々たる曠原で、かつて噴火した時の大岩石がそこにもここにも転がっている、仰いでその頂を見ると一抹の烟が空に漂っている、
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