になった。
 その頃の在寮生中にも全く勉強家がないのでもない。私の寮の近傍に居たものでは、前にいった藤田九万氏高橋二郎氏などは随分勉強していたようだ。また文章家の於保武十氏とか詩人で村上珍休氏等とも往来してよく話し合った。また岩崎小次郎氏は大村の藩兵に加って奥羽から帰りだちというので、なかなかの元気で、誰かの書いた和文のナポレオン伝を高声に読んでいたのが今も耳に残っている。また高知の雨宮真澄氏谷新助氏等は随分乱暴家であって、就中谷氏は短刀を抜いて少年を脅迫したことなどもあった。その他戦争戻りの人も少なくなかったが、就中薩州人が多くて、それは皆散髪であったから頗る目に立った。何とかいった人は片腕を失っていた。要するに戦争上りのことでもあるから、人気は一般に荒っぽく、不羈卓犖《ふきたくらく》というようなことを尚《たっと》ぶので、それだけ勉強するものは因循党と見做された。一体に多くの学生は昼間は外出して、懐の有無により大小の料理屋へ行って酒を飲み芸者を呼ぶ。また吉原や深川や品川へ登楼もする。そうして帰って来て気焔を揚げるのが誇りという風であった。私の入寮後間もなく、藩地の明教館の学友が上京し
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