升盛り、銭を包んで添え、そしてちょっと屠蘇《とそ》を飲ませた。
 正月の遊戯で盛に行われたのは凧揚げであった。男の子は大概凧を買ってもらい、またよそから贈られもした。各《おのおの》これを揚げて楽《たのし》むこともするが、唯揚げるばかりでなく、凧合戦をする事が盛んであった。これは子供でなく、二十歳近くの者が先立ってやった。合戦というのは隣屋敷の凧とからまし合いをすることである。私の屋敷では、北隣は久留米藩有馬家、南隣は島原藩松平主殿正、西は砂土原藩小さい方の島津であった。私どもの屋敷ではこの三つの藩邸と凧合戦をした。からんで敵の凧をこちらへ取ったのが勝となっていた。遂には罵り合《あい》を始め、石の投げ合までにも及んだ。そこで藩々の役人等は、互に相済まぬというので青年を戒めたが、その当座は止めていても、ほとぼりが醒めるとまた始めた。それでまずは黙許という姿であった。
 からまし合いは、とても子供では出来ないので、大きい人に貸して、戦に勝つと敵の凧はその勝凧の持主なる子供のものになるので、自分の凧が殖えるので喜んだ。もっとも大概からまし合った凧は折れ破れて揚げることなど出来ぬものであったが、
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