かったので、私は珍らしく同塾生をやっつけたのである。
水本先生は酒を飲むから酒楼に行くことも度々で、酔って帰ることも多かったが、また塾生を同行することもあった。それは多く三本木の月波楼とかいうので、私も連れられて行って、いわゆる三本木芸子にも出合った。この頃私は七言律詩を二十ばかりも作って、紅楼の興味や何かを聞かじり半分に詠って、小牧始めの同塾生にも示し、また我藩の山本とか、医者で詩をよくした天岸桝玄などにも見せた。これがそもそも私の漢詩で多少の艶態を詠った始めである。
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十二
[#天から2字下げ]段々と話が今日現存の人にも及ぶから今回より人名には多く敬語を加えることにした。
私は久しぶりで京都に来たのであるから、常に好きな芝居を見ることも楽んでいた一ツである。そこで折節四条の南座が芝居をやっているので、或る日行って見たが、生憎《あいにく》一等役者ではなく二等位の浅尾浅十郎が座頭に片岡松若が若手の花形、それに中村駒之助が客座で加っていた。『新薄雪物語』の三人笑いやテボの正宗その他を打通しの出し物で、とにかく久しぶりの上方芝居だから面白く見て、二度までも行った
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