で扱わねばならぬのだけれど、やはり我藩の代官役に扱わせていた。ただ処々に立ててあった高札だけは、松山藩とあるのを、土州藩と改めてしまった。そうして松山城下は勿論土州の直接管理であったが、なかなか軍規は厳粛、少しも町方を凌虐するようなことはなかった。或る時土州の足軽位な軽輩の者が、古町の呉服屋で買物をして、僅の金を与えて立去り、即ち押買いをしたことがあったが総督はこれを聞くと直ちに斬罪に行って、その首四個を北の城門の外の濠端に晒した。
しかるに長州軍は我藩地へ来たは来たものの、土州に先を越されているから、僅に三津浜と総ての島方を占領したまでである。そうして我藩の士民も、特に土州には親しむが、長州は余所《よそ》にしているような風もあるので、長州は少し妬ける気味もあったろうか。
そこで我藩は既に恭順を表した上は一日も早く朝廷の御沙汰のあるのを待っている。また段々と聞く所では、徳川家始めその他の朝敵となった藩々も、奥羽をかけていずれも恭順を表することになったので、最早佐幕主義貫徹の希望もなくなるし、この上はひたすら藩の安全を図る外はないという事に多くの人心が成行いた。しかるに突然朝廷から土
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