江戸へ廻ろうということに内決していた。すると一方の恭順派はそれを知ったので、さような事があっては折角土州の勧誘に応じた詮もない、つまり藩の存亡にも拘るから、あくまで反対党を阻止せねばならぬ、それには遂に兵器に訴えてもよいとこれも内々準備していた。尤も過激党の江戸脱走は、藩に一隻の汽船があったから、それに乗込む考であったのだがちょうど長州軍が船で三津浜まで来たので、その汽船も分捕せられてしまった。依てこの脱走も挫折して事止みとなったが、その後、徳川家初め他の藩々も段々と恭順を表された形勢からいえば、これは我藩に取っては幸であったのだ。
土州軍は前にもいった如き、内々の好意もあって、形式的にこそ我藩地を占領したのであるけれど、実際においてはただ三の丸に軍隊を繰込んだまでで、その他は何事にも手を着けない。それで藩の政庁は従来通り役々が出勤して事務を執る。その場所は明教館の学問所が広かったからそこを使用していた。また藩主父子の側仕えをする人々も従来の如く常真寺へ代りあって詰めた。しかも藩主の御機嫌を伺うといって一般の藩士も日々常真寺へ出頭した。けれども余り多勢一緒に行くのは土州軍に対し憚かれ
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