の中に、幾本かの松の木の下にあって、半丁ばかり隔てた庵室みたような家にそこの鍵を預っているから、それへ行きいくばくかの礼を払って案内してもらった。碑は辻堂位の小さな建物の中に建っていて、裏面に楠公の木像が祠られていた。それから右の案内者から碑文並に正成の筆という石摺などを買った。菅茶山《かんさざん》の詩『客窓一夜聞松籟月暗楠公墓畔村』を想出して、昼と夜とこそ違え同じ感慨を起したことであった。しかるに今日ではここらが神戸の目抜の市街となって、楠木神社も立派な宮居となり、周囲には色々な興行物さえ陣取っている。が、鳴呼忠臣楠子墓という文字に対しては、やはり昔の光景が似合っているように思われる。
 世子が帰藩せられて、幕府の指令を一般に告示されて、いよいよ正式の使者を長州へ差立てらるる事になったが、それには番頭の津田十郎兵衛というが家老代理として命ぜられ、それに目付の藤野立馬久松静馬河東喜一郎が同行した。勿論これは大島討入の際の挨拶というのみであったが、先方からは有名なる木戸準一郎が出て来て、防州宮市において応接した。而して木戸は、長藩の最初からの勤王並に奉勅の始末を縷々弁じ、是非貴藩にも連合
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