か、家老の乗るのであるが、折節船の都合でそれへ乗せられた。勿論同船者は他にもあって、物頭役の戸塚甚五左衛門とか、平士の長野、岡部、伊佐岡とかいう者も乗組んでいて、戸塚はじめ我々の家来なぞもあるから、随分多人数が乗ったのである。戸塚はモウ老人であったが、大いなる瓢箪酒を持ち込んで、ちびりちびりと飲んでいて、折々私どもへもくれたが、私はその頃全くの下戸で、もし猪口に二つか三つも飲めば吐くという位であったから、断って一口も飲まなかった。関船にはちょっとした座敷造りの狭い間が二つもあって、上の間は戸塚一人で占領し、次の間に私どもの小姓四人が居た。それから平士の三人は舷の或る間に居て、また他の舷には大勢の家来が居た。この家来は、下等な者であるから、退屈の余りには種々の噺《はな》しを始めて、中にはのろけ噺しもするし、随分猥褻なこともいっているので、私は始めてそんな噺しを聞いて面白くもあったが、また厭わしくなって来た。この海路はさほど長くかからずに大阪へ着いた。私は出立の頃から少し風邪を引いてるように思っていた、それが段々と熱も加わって、終に一日おきの間歇性即ち瘧となった。私は前にもいった如く、父の
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