く江戸へ旅行していたからツイツイ遅れて、十六歳で初めて角を入れたのであった。
 その頃私の直《じき》の弟大之丞というは、薬丸《やくまる》という家へ養子に行っていたが、そこへ私が遊びに行った時、弟の養母が窃かに『助さんは半元服じゃが、もう元服をしても好い、何だか馬鹿げて見える。』と言ったのを、今でも記憶している。それほど私は身丈なども比較的大きかったので、半元服も大分遅れていた事が分る。
 ついでだがこの薬丸にも沢山の草双紙を持っていたから、かつて私は江戸で随分見ていた草双紙を、この家で再び読むことが出来た。またこの家は家内が草双紙好きで、常に他家からも借りて読んでいたから、当時の草双紙は大概見てしまった。
 それから少し話が後《あと》へ戻るが、私は十五歳の頃、馬術の方でも寒川《さんがわ》というへ入門した。一体、武士の家では弓馬剣槍といってこれだけには通せねばならぬのであれど、誰も必しも悉くを兼ることはせない。まず弓術はその頃歴々の子弟等が主として学ぶもので、われわれ身分の者は主として剣、槍、馬術を修めるのであった。私は身体も弱し、学問の方を好むところから、父が槍だけは強いて修行させず、
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