めなかったが、よく父から絵解をしてもらったので、その筋をよく解していた。
祖父は、私が少し大きくなってからはとんともう錦絵をくれぬようになった。私はこれをひどく淋しく思っていたが、祖父は在番が終って藩地へ帰る時に、特に買ってくれたのが右の保元平治物語の十冊揃いである。
それから私は仮名ややさしい漢字がわかるようになって、盛衰記や保元平治物語を拾い読みした。これは八つ九つの頃であった。日本の歴史を知った端緒は実にこの二書であった。
草双紙《くさぞうし》も好んだが、これは私のうちには無かった。隣の間室《まむろ》という家に草双紙を綴じ合わせたのがあったのを、四つ五つの頃からよく遊びに行って見ることにしていた。この家も常府であったが、藩地に帰る時に、私が好きだからというのでその草双紙を私にくれて行った。その後はそこにあったものの外の草双紙もよその家へ行ってよく借りて読んだ。草双紙は仮名ばかりだから、大概ひとりで読めた。私の内では父が古戦記を見せることは奨励したが、草双紙を見せることは好まなかった。当時の江戸の女たちは皆草双紙を大変に好んだものであったが、うちの二人の祖母もまた継母も田舎出
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