くないと申立てたので、世子の気性としては多少不本意でもあったろうが、遂にその言に従って辞表を差出された。が、幕府では容易に聞届られぬので、再応出願せられてヤッとのこと辞職を許された。それは慶応三年の十月で、この時は既に薩長へ向って討幕の内勅が下っていた時である。間もなく土州の山内容堂公は後藤、福岡等を以て慶喜将軍に大政奉還を勧めらるることになって、それには勤王佐幕両党の聯立内閣を作ることを条件とせられたのである。そこで慶喜公も内実困却されている際であったから、この建議を採用して、いよいよ大政奉還を出願せられた。すると薩長などは夙《はや》くに朝廷の或る人々と謀る所があっていたから直ちに慶喜公の出願を採用され、いわゆる王政復古の大改革となった。そして要路に立つ人々はこの勤王党で、佐幕党は越前の松平春嶽公位の一、二人に止まった。かつ会津侯の守護職とか桑名侯の所司代とかも免職になった。そこで幕府方は驚くと共に不平を起し、就中会桑の如きは火の如く憤って、薩長と戦端を開こうとするまでに至った。そこで新藩主は老中上席を辞退せられたとはいえ、前より職としていらるる溜間詰(今でいえばまず枢密顧問官)の立場よりこの危機一髪の情勢を非常に憂慮せられて、或る夜などは二条城に終夜詰切って慶喜公に持重さるべきよう諫争された。尤も松平春嶽公あたりよりも同じ勧説があったので、慶喜公は遂に会桑侯等を率いて急に下阪せられることになった。そこで新藩主も共に下阪されることになったが、兼て朝廷より御召という命もあったのを、それにかかわらずかかる挙動を執られたので、既にこの時より朝廷向きの御首尾は悪くなった。
明くれば慶応四年即ち明治元年正月は、早々から彼の伏見の戦争が始まった。私は前にいう如く、父と共に藩地に淋しく住んでいたが、前年末より再び明教館の寄宿を命ぜられて、以前の如く漢学を勉強することになっていた。忘れもせない新年の六日に京都から右の伏見の事変の急報があったので、我藩は上下|挙《こぞ》って驚愕をした。而してまず援兵として藩の一部隊を差向けることになったので、寄宿舎の同窓友人たる武知隼之助というが、これも出陣することになって、その翌日見送をした。それからというものは我藩は人心|恟々《きょうきょう》としていたが、十日に至って新藩主が帰藩されたという事が伝って士分一同三の丸へ出頭した。そして聞く所では、伏見の開戦以来幕軍は連戦連敗で、遂には大阪城へ籠城せらるることになり、慶喜公もその意を一般に達せられたにかかわらず、一夜会桑侯及び板倉侯を率いて、窃に仏国船に乗って江戸へ退去された。この際我新藩主には何の告知も無かったので我が上下共に非常に落胆した。かくなった原因を追想するに、まだ慶喜公が在京の時会桑藩は直ちに戦端を開こうとしたのを、新藩主は軽挙なきようと慶喜公へ建議せられ、その後公と共に大阪へ下られたとはいえ、会桑両侯は心に釈然たらない、しかも新藩主の実家たる藤堂藩は、幕府のために鳥羽を警戒していながら遂に官軍へ裏返ったので、これも新藩主に取っては、幕府に対して顔がよくなかった。尤も実家の藤堂兵を激励するため小姓で私の友人たる野中右門というを鳥羽まで遣わし、藤堂兵の隊長藤堂帰雲へその意を達せられたが、その頃はもう勅使が藤堂の陣中へ来ていて、方向は変じていたのであるから、野中には早々立帰るようにというので、やむなく大阪へ立戻ろうとした際、頭の上を幕府へ放つ砲弾が飛び出したということである。かようの次第で新藩主には徳川方より聊か嫌疑を受けられた結果であるか、遂においてけぼりを食わされたので、この上は帰藩して飽《あく》まで佐幕の旗を翻えし、赤心を明かにしようと決心された。折から前にいった藩の援兵が、その時一隻だけ持っていた藩の汽船に乗って大阪へ着いたので、藩主及びその従兵もそれに乗って、なかなかの満員で混雑を極めながらも上下共無事に帰藩されたのである。間もなく朝廷よりは慶喜公を始め会桑藩は勿論、姫路高松及び松山藩等を朝敵と目されて追討を命ぜらるるということになった。されど我藩の如きは、聊かも朝廷に対して異心あるのでなく、薩長等がみだりに徳川家を排斥し、横暴を極めると見るのみで、今日でいわば政党の圧轢と何の変りもないのであるが、口頭の宣伝や弁論とちがい干戈《かんか》を以て互に応ぜねばならぬのだから面倒だ。そこでよしや朝敵と目さりょうが、武門の意気地として、直ちに降伏することは出来ない。たとい孤立して滅亡を取るとも是非がない。殊に新藩主は徳川方に疎外せられた憤慨から、一層この志が強固であった。そこで帰藩の翌日であったと思うが、藩士一同三の丸へ出頭せよとのことで、私も出頭して見ると、新藩主及び前藩主はその居間へ、士分以上の者五人ずつ呼出されて、かく成行く上は致方がないから城
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