を枕に討死する、従来の恩義上それを共にしてくるるならば満足であるが、異存ならば藩地を立去っても怨みはないというような熱烈沈痛なる宣告があった。僅に五人ずつがそれを聞くのだから前日の正午より翌朝の夜の明けるまで入替り立替りそこへ出た。私は同じ目付頭取次の仲間五人と、何でもその夜明頃に、この宣告を承った。そして誰一人それに対して異存を唱える者が無かったが、控席へ退いては、右の御達はあまりの思召切りだ、何とか今少し御思案もありそうなものだといって、彼処に五、六人此処に七、八人各々密議をこらす者もあった。私はそのまま帰宅して、まだ病床にいた父にそれを告げたが、父はこの上は致方ないと、嘆息したのみであった。従来伊予は大小八藩あって、我松山藩のみが真面目に幕府に心を尽していたのみで、同姓でも北隣の今治藩は、早くより傍観的であったし、南隣の大洲藩は既に勤王党になっていた。また背面の土州藩は有名なる板垣等が早くより薩長の志士と結んで伏見の戦にも大《おおい》に働いたのであって、なお今度朝廷からは松山征討の命が下った。前面は海を隔てて、長州藩でいうまでもなく討入の怨みもあるし、今般これらも松山征討の命を受けた。そこで我藩は完く孤立無援の地に立ったので、このまま防戦しても遂には落城して、君臣共に討死するということはモウきまっている。そこでその少数ながらも藩の四境を固める兵員を配置して、それらがなかなかの騒ぎであった。その中まず土州軍は久万山まで侵入して、恭順するか防戦するかその決答を聞きたいという公文を送り越した。しかるにこの際我藩は俄《にわか》に態度が変じて、この土州軍に向って恭順を表するということになった。後に聞くと土州は右の如く公文を送ったにかかわらず、別に金子平十郎等の内使を以って、我藩の要路者に面談したいと申し来った。そこで最初は道後町において目付の二、三人が応接し、次に味酒神社の社宅において家老鈴木七郎右衛門その他が応接したが、土州の内使の口上には、山内家と松平家とは従来親族の間柄でもあるから、この度の事変は土佐守及容堂の非常に心配さるる所である、而して今日の如く薩長が横暴を極めていては、このまま捨ておかれぬから、早晩土州藩は起て諸藩を糺合してそれを掃蕩せねばならぬ。その際は是非とも貴藩と提携せねばならぬから、それまでは暫く隠忍して恭順を表せられたいというような意味であって、これは今も世間に知れていないだろうが、私は後年その鈴木より直接に聞いた所である。また事理から推しても、前にいった如く新藩主から決心を宣告せられたのみならず、家老鈴木等は籠城派の筆頭であるのだから、俄に恭順態度に変じたるには右の土州藩の勧誘位が是非ともなくてはならぬのである。
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   十一

 いよいよわが藩が土州に向って恭順を表した上は、新藩主及び前藩主は、松山城北の常真寺へ退居して、謹慎せられ、土州軍総督の深尾左馬之助は軍隊を率いて松山城の三の丸へ入込んだ。そうして藩主の代理たる家老その他の役人で、城郭軍器また凡ての土地人民を、土州に差出すことになった。そこで私の宅は堀の内といって、この三の丸近傍にも多くの士族屋敷があった、その一に住んでいたから、他の人々と共に立退きをせねばならぬことになって、二番町というに継母の里の春日が住んでいたから、それへ同居する事になった。この藩主が立退かれた際だが、前にもいった過激党はまだ憤慨の気が納まらず、松山城で反抗することは出来ないまでも、遠く江戸に居る会桑軍に投じて、共に薩長と戦おうという考で、それには新藩主を擁立し同志者と共に海路江戸へ廻ろうということに内決していた。すると一方の恭順派はそれを知ったので、さような事があっては折角土州の勧誘に応じた詮もない、つまり藩の存亡にも拘るから、あくまで反対党を阻止せねばならぬ、それには遂に兵器に訴えてもよいとこれも内々準備していた。尤も過激党の江戸脱走は、藩に一隻の汽船があったから、それに乗込む考であったのだがちょうど長州軍が船で三津浜まで来たので、その汽船も分捕せられてしまった。依てこの脱走も挫折して事止みとなったが、その後、徳川家初め他の藩々も段々と恭順を表された形勢からいえば、これは我藩に取っては幸であったのだ。
 土州軍は前にもいった如き、内々の好意もあって、形式的にこそ我藩地を占領したのであるけれど、実際においてはただ三の丸に軍隊を繰込んだまでで、その他は何事にも手を着けない。それで藩の政庁は従来通り役々が出勤して事務を執る。その場所は明教館の学問所が広かったからそこを使用していた。また藩主父子の側仕えをする人々も従来の如く常真寺へ代りあって詰めた。しかも藩主の御機嫌を伺うといって一般の藩士も日々常真寺へ出頭した。けれども余り多勢一緒に行くのは土州軍に対し憚かれ
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