なり、孟子と大学を終ると二等、中庸小学で三等、詩経書経で四等、易春秋礼記で五等となって、これで素読が終るのである。それから意味の解釈となり、講義や輪講等へ出席する。四書小学の解釈が出来ると六等になり、五経の解釈が出来ると七等になり、それで全課程を終るのである。私は江戸に居る時、孟子の半ばまで父から授かっていたから、その続きをここで習った。等を上るには試読《しとう》という教官の席で検査を受ける。それは、あちらこちらをあけて読ませるので、どこも読み得ると、終了と認めて何等と定められる。出来ぬ者は、更にさらえ直して来いといって叱られた。
 常の素読は、『助読《じょどく》』という素読の終っただけの者や、寄宿舎に入って素読以上の事を研究している若者から教えてもらい、それの誤は教官たる先生が訂すのである。
 この素読隊が三つに分れていて、私は三番隊に入った。最初論語は終っていたから、試読席で一等を受けた。先生は、「大変よく出来る。」といって賞めてくれた。孟子大学の終った時も好成績で等が進んだ。それでその年に中庸小学も終り、詩経の部へ進んだ。これは非常な進み方であるので先生は賞めた。勿論これは宅で父から教えてもらったからズンズン進んだのである。今日の課程の如きでなく、当時は力次第で右の如く進むことが出来た。詩経あたりへ行くと、私は大概自分で読んで、わからぬ所を先生や父に聞くという位に行ったから、素読は何らむつかしいものとは思わなかったが、詩経で小戎の篇の小戎※[#「にんべん+戔」、76−7]収、五※[#「鶩」の「鳥」に代えて「木」、76−7]梁※[#「車+舟」、第4水準2−89−64]、游環脅駆、陰※[#「革+引」、76−7]※[#「沃/金」、76−7]続、文茵暢轂、という所と、韓奕の篇の王錫韓侯、淑※[#「族」の「矢」に代えて「斤」、第4水準2−13−78]綏章、箪※[#「竹かんむり/弗」、76−8]錯衡、玄袞赤※[#「臼/勿」、76−8]、鉤膺鏤錫、※[#「革+郭」、76−8]※[#「革+弘」、76−8]浅韈、仗革金厄、という所だけは読みにくかった。
 武芸の方は、まず剣術から始めたが宜いというので、三家中で橋本というに入門した。ここは新当流で宮本武蔵から伝った流だと聞いていた。この入門には寄親《よりおや》というものが入る。それで親類の奥平というのが、橋本の免状を得ている身分
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