女友達もなく、良家の娘と口を利《き》くようなチャンスは殆んどなかった。そんなはけ口のない情慾を紛らすために、僕らは牛肉屋へ行って酒をあおり、肉を手掴《てづか》みにして壁に投げつけたり、デタラメの詩吟を唄《うた》って、往来を大声で怒鳴り歩いたりした。しかもその頭脳の中には、詰めきれないほど残ってる試験の課題が、無制限の勉強を強《し》いているのである。そうした青年時代の生活は実にただ「陰惨《いんさん》」という一語によって尽される。「青春の歓楽」などということは、僕らはただ文字上の成句として、一種のイメージとしてしか知らなかった。
初めて僕が、多少人生というものの楽しさを知ったのは、中年期の四十歳になった頃からであった。その頃になってから、漸《ようや》く僕は僅《わず》かなりにも、多少原稿料による収入が出来、親父の手許《てもと》を離れて、とにかく妻と東京に一戸を構え、独立の生活をすることができた。その時以来、僕は初めて「自由」ということの意味を知った。人が自由ということを知る最初の経験は、子供が親の手を離れ、年長者の監督や拘束から解放されて、独立の生活をした最初の日である。同時にまたその時以
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