《ぶしょうひげ》を生《は》やして汚《きた》なくしている。)
 だが老いということも、実際にはそれほど悲しいものではない。むしろ若い時よりは、或る意味で遥《はる》かに楽しいものだということを、僕はこの頃経験によって初めて知った。僕の過去を顧みても、若い時の記憶の中に、真に楽しかったと思ったことは殆んどない。学生時代には不断の試験地獄に苦しめられ、慢性的の神経衰弱にかかっていたし、親父《おやじ》には絶えず怒《おこ》られて叱責《しっせき》され、親戚《しんせき》の年上者からは監督され、教師には鞭撻《べんたつ》され、精神的にも行動的にも、自由というものが全く許されてなかった。何よりも苦しいことは、性慾ばかりが旺盛《おうせい》になって、明けても暮れても、セクスの観念以外に何物も考えられないほど、烈《はげ》しい情火に反転|悶々《もんもん》することだった。しかもそうした青年時代の情慾は、どこにもはけ口を見出すことができなかった。遊女や売春婦等のいる所へは、絶対に行くことを禁じられていたし、第一親がかりの身では、そんな遊興費の銭を持つことができなかった。その上僕の時代の学生や若者は、擬似恋愛をするような
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