楽を楽しんだり、異性とダンスをしたり、恋愛を語ったりすることで、青春の若い時代を、相当に享楽することができるのである。今の日本の学生らは、こうした西洋のカレッジライフを輸入している。だが昔の学生や青年らは、全くその青春時代を禁圧されてた。封建時代は勿論《もちろん》のこと、明治時代に入ってさえも、我々の国の若者たちは、全くその「青年の日」の自由と楽しみを奪われていた。彼らにはスポーツもなく、ダンスもなく、恋愛もなく、そして売春婦以外のどんな異性にも、殆んど接することができなかった。封建時代はもっとひどく、すべての少年や青年たちが、老人と同じように教育され、四書五経等の経書《けいしょ》によって、すべての青春的なる自然性を抑圧され、一切の享楽を悪事として禁罰された。
 しかしこうして育った日本人が、一生を通じて、西洋人より不幸であるとは考えられない。なぜなら彼らは、老後において妻子|眷族《けんぞく》にかしずかれ、五枚|蒲団《ぶとん》の上に坐って何の心身の苦労もなく、悠々《ゆうゆう》自適の楽隠居《らくいんきょ》をすることができるからだ。反対に西洋人は、老年になってからみじめである。子に親を養育
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