いる。そして、過去に既に修得した技術や知識や、豊富に貯蓄された財産やによって、人生を心のままに享楽した後、多くの子孫を残して安楽に死ぬことが出来るのである。
だが人間の生態では、この順序が逆になってる。我々は人生の青春時代に、過剰の情慾に悩みながら、不断の休みなき勉強と修業をせねばならない。そして漸《ようや》く準備が終り、一人前の人間として、充分の知識や財産を蓄《たくわ》えた時には、もはや青春の美と情熱とを失い、蝉《せみ》の脱殻《ぬけがら》みたいな老人になっている。昔の明治時代の学生は、「少年老い易《やす》く学成り難《がた》し。一寸の光陰|軽《かろ》んずべからず。」というような文句を、洋燈《ランプ》の笠《かさ》に書きつけて勉強した。だが彼らの書生は、二重の意味で悲哀であった。なぜならその言葉は、再度来ない青春の日の楽しさを、空《むな》しく仇《あだ》にすごすことによって、老年の日の悔《くい》を残すなという意味を、逆説的に哲学しているからである。
しかしさすがに西洋人は、人生を享楽することの秘訣《ひけつ》を知ってる。彼らの学生生活は、一方に学問を勉強しながら、一方にスポーツをしたり、音
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