期に入って来ると、人は漸くこうした病症から解脱《げだつ》してくる。彼らは主観を捨てないまでも、自己と対立する世界を認め、人生の現実世相を、客観的に傍観することの余裕を得て来るので、彼自身の生きることに、段々味のある楽しみが加わって来る。その上どんな人間でも、四十歳五十歳の年になれば、おのずから相当の蓄財と社会的地位が出来て来るので、一層心に余裕ができ、ゆったりした気持ちで生を楽しむことができるのである。
僕も五十歳になってから、初めてそういう寛達の気持ちを経験した。何よりも気楽なことは、青年時代のように、性慾が強烈でなくなったことである。青年時代の僕は、それの焦熱地獄のベットの上で、終日反転悶々して苦しんだが、今ではもうそんな恐ろしい地獄もない。むしろ性慾を一つの生活気分として、客観的にエンジョイすることの興味を知った。昔の僕には、茶亭に芸者遊びをする中年者の気持ちが、どうしても不思議でわからなかった。しかし今では、女を呼んで酌《しゃく》をさしたり、無駄話をしたり、三味線を弾《ひ》かせたりしながら、そのいわゆる「座敷」の情調気分を味《あじわ》いつつ、静かに酒を飲んで楽しむ人々の心理が、漸くはっきり解って来た。つまりこうした中年者らは、享楽の対象を直接の性的慾求に置くのではなく、むしろその性的なものを基調として、一種の客観的な雰囲気《ふんいき》を構成する事で、気分的に充分エンジョイしているのである。灼《や》きつくような情慾に飢えていた青年時代に、こうした雰囲気的享楽の茶屋遊びが、無意味に思われたのは当然だった。おそらく青年時代の情慾は、戦場にある兵士らのそれと同じく、正に仏説の餓鬼地獄に類するだろう。汗で油ぎってる黒い顔に、いつも面皰《にきび》を吹き出してる中学生の群を見る時、僕は自分の過去を回想して、言いようもなく陰惨の思いがする。かりにメフィストフェレスが出現して、今一度青春を与えようと約束しても、僕はファウストのように小躍《こおど》りして、即座に跳《と》びつくか否かは疑問である。
しかし、苦悩がないということは、常にその一面において、快楽がないということと相殺《そうさい》する。老いて人生が楽しいということは、別の側から観察して、老年のやるせない寂しさを説明している。世の中年者らが、茶屋遊びの雰囲気を楽しむというのも、所詮《しょせん》して彼らが、喪失した青春の
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