の権利」が、自分になくつて来客の手にあるといふことほど、客に対して僕を腹立たしくすることはない。
 一体に交際家の人間といふものは、しやべることそれ自身に興味をもつてる人間である。かうした種類の人間は、絶えず何かしらしやべつてないと寂しいのだ。反対に孤独癖の人間は、黙つて瞑想に耽ることを楽しみとする。西洋人と東洋人とを比較すると、概してみな我々東洋人は、非社交的な瞑想人種に出来上つてる。孤独癖といふことは、一般的には東洋人の気質であるかも知れないのだ。深山の中に唯一人で住んでる仙人なんていふものは、おそらく西洋人の知らない東洋の理念《イデア》であらう。とにかく僕は、無用のおしやべりをすることが嫌ひなので、成るべく人との交際を避け、独りで居る時間を多くして居る。いちばん困るのは、気心の解らない未知の人の訪問である。それも用件で来るのは好いのだけれども、地方の文学青年なんかで、ぼんやり訪ねて来られるのは最も困る。僕は一体話題のすくない人間であり、自己の狭い主観的興味に属すること以外、一切話することの出来ない質の人間だから、先方で話題を持ちかけて来ない以上は、幾時間でも黙つてゐる外はない。だ
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