く思はれるらしい。何処へ行つても、お名前はと聞かれて、サクタラウと答へると、屹度作文の作ですねと言はれる。いやちがふと言ふと、どんなサクですかと反問される。そこで朔日《ついたち》の朔だと教へるが、これがどうも一向に人々に通用しない。「ツイタチのサク。さてね、どんな字ですか。」とまた反問される。そこで仕方がないから、ありたけの成句を並べてみる。元旦朔日の朔。朔風の朔。朔北の朔。正朔の朔。いくら言つてもまだ解らない。いよいよ困つて考へた末、近頃の時局ニュースで、よく新聞等に出る字を思ひ出す。そこで遡江部隊の遡という字からシンニユウを除いた朔だとか、国民に愬ふといふ愬から心を除いた上の字だとか言つてみるが、これもまた一向に利き目がない。しまひには両方で苛々して来る。「一体何ヘンなんですか。字を言つて下さい。」と、先方も少し癇癪を起して詰問するのが、いつも問答の最後に極つてゐるが、これが僕にはまた当惑の種である。といふのは朔といふ字のヘンが何ヘンなのだか、僕自身が無学で知らないのである。一度漢文の先生にでも聞いて見ようと思つてゐるが、それを教へてもらつたところで、結局一般人の対手に解らないのは
前へ
次へ
全9ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング