白秋といふ字面の印象から、あの明朗で官能的な詩人を表象するのも、やはりこれと同じく、作品や作家から受けた実の印象が、逆にその姓名の字画と結びつき、感情移入をしたものに外ならない。
僕の名前の由来について、時々人から質問を受けることがある。中には「朔太郎」といふのが本名か雅号かなどと問ふ人もあるが、紛れもなく、親のつけてくれた本名である。僕は十一月一日に生れた。長男で朔日《ついたち》生れの太郎であるから、簡単に朔太郎と命名されたので、まことに単純明白、二二ヶ四的に合理的で平凡の名前である。若い時の僕は、その平凡さが厭やだつたので一時雅号をつけようとさへ思つた。(その頃は、文人の間に雅号をつけることが流行した。北原白秋、室生犀星、山村暮鳥等、皆雅号である。)だが考へて見たら、一人前の文士にも成らないものが、麗々しく雅号をつけるなんかテレ臭いので到頭本名で通してしまつた。(もつともこの考への誤りは後で解つた。一人前の文士になり、世間に名を知られてしまつてから、後で雅号をつけたところで通用しない。)
しかし世の中は不思議なもので、こんな平凡な僕の名前が、却つて今の一般人には、風変りに珍らし
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