を説明してゐる。なぜならフロイドの説によれば、夢は原則として「樂しいもの」であり、性の解放による饗宴でなければならないからだ。だが眞の昏睡時の夢は、概してあまり樂しいものではなく、むしろ性の解放とは關係がないところの、恐ろしいことや悲しいことが多いのである。
 ベルグソンの夢の説も、ひとしくまた同じ點で誤つてゐる。ベルグソンによれば、夢は身體の内外に於ける知覺の刺激――戸外の物音や、胃腸の重壓感や――によつて動因的に表象されるといふのである。彼はその例證として、戸外で吠える犬の聲から、大砲の音を表象し、それによつて戰爭の夢を見たと言つてる。覺醒時に於て、知覺が半ば目を醒ましてゐる時には、疑ひもなくその通りである。しかし意識が全く昏睡してゐる夢の中では、ベルグソンの説明が意味をなさない。おそらく夢の解説は、もつと不思議で解きがたく、謎の深い神祕の闇に低迷してゐる。

幼兒の夢 幼兒は絶えず夜泣きをし、何事かの夢に魘されておびえ[#「おびえ」に傍点]泣いてる。母の胎[#「胎」に「ママ」の注記]體を出たばかりの小さな肉塊。人間といふよりは、むしろ生命の神祕な原形質といふべき彼等は、夢の中に何
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