きことであるかも知れない。
夢を支配する自由 阿片やモルヒネの麻醉が、人を樂しく恍惚とさせるのは、それが半醒半夢の状態を喚起させ、夢を自由に幻想することができるからである。眞に深く眠つてしまへば、人はもはや意識を失ひ、或る超自我の生命支配者がするところの、勝手な法則に夢を委ねなければならなくなる。しかもその夢は、たいてい願はしくないこと、思ひがけないこと、厭な樂しくもないことばかりである。しかも覺醒している間は、意識が現實の刺激に對して、一々の決定された法則によつて反應するため、一も眞の自由が得られず、人間の精神生活そのものが、物理的法則の支配下に屬してしまふ。精神の眞の自由――自分の意志によつて、自分の意識を支配することの自由――は、ただ夢と現實の境、半醒半夢の状態にだけある。阿片の醉夢の中では、人はその心に畫いてゐるところの、どんなヴィジョンをも幻想し得る。だがさうした毒物の麻醉を借りずに、もつと自然的《ノーマル》な仕方によつて、夢を自由にコントロールすることができるならば、人生はずつと幸福なものに變るであらう。その時人々は、現實に充たされない多くの欲望を、夢で自由に充たすことが
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