、その反對の人々は、晝間の生活の代償として、夢の中で幸福な世を送る。そしてすべての人々は、神の公平な攝理の下に、エコヒイキなく平等になる。だがどんな場合にあつても、神は決して公平でない。なぜなら夢は、その人の先天的氣質や體質や、特に健康状態によつて決定されるからである。たとへば神經質の人や、内氣で非社交的な人々や、不健康で病弱の人々や、即ち一口で言へば、生存競爭の劣敗者たる素質を持つた人々は、概して皆苦しい夢、恐ろしい夢、人から苛められるやうな夢ばかり見る。反對に樂天的で陽氣な人々や、社交的で元氣がよく、健康のすぐれた強壯の人々や、即ち素質的に生存競爭の優勝者たる人々は、概して皆樂しい夢、明るい輝いた夢ばかり見る。「富める者は、その持たざる物をも與へられ、貧しき者は、その持つ物をも奪はる」と耶蘇が言つた聖書の言葉は、人生のどんな場合にも眞實である。幸運の星の下に生れた人は、夜の夢の中でも幸福であり、惡しき星の下に生れた人は、夢の中でさへも、二重にまた不幸である。夢がその一夜限りの斷片であり、記憶の連續をもたないこと、その故にまた虚妄であるといふことは、せめてもの恩寵として、神に感謝すべ
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