《まひる》の太陽に照らされて、夢の闇の中で見るやうに強烈でなく、晝間の殘月のやうにぼんやりしてゐる。情緒の眞のレアリティは、夢の中にのみ實在してゐる。そしてこのことは、夢が何億萬年の古い人類の歴史を、我々の記憶の中に再現することを實證する。おそらく我々は、原始に類人猿の一族から發生した時、未だ理智の悟性が芽生えなかつた。その時人間は、鳥類や獸類と同じやうに、純粹に情緒ばかりで行動して居た。そして鳥類や獸類やは、今でも尚依然として、我々が夢の中で感ずるやうに、世界を「現實《レアル》」に經驗して居るのである。

夢と動物愛 動物の情緒(悲哀や、喜悦や、恐怖やの感情)が、いかに生々《なまなま》しく強烈なものだといふことを、夢の經驗によつて推測するところの人々は、彼等の畜類に對して、自然に同情と理解をもつようになり、基督教的の倫理觀から、動物愛護主義者になる。

夢の起源 夢が性慾の潛在意識だといふフロイドの説は、それのドグマによる彼の夢判斷と共に、私の考へるところでは誤つて居る。おそらく夢の起源は、人間にも動物にも共通して、祖先の古い生活經驗を遺傳してゐるところの、先驗的記憶の再現である。夜、夢の中で遠吠えする犬の聲が、それ自ら狼の鳴聲と同じであるといふことは、疑ひもなく犬の夢が、祖先の狼であつた時の、古い記憶を表象してゐるのである。人間の夢の中に、蛇や蜥蜴やの爬蟲類が、最も普通にしばしば現はれるのは、フロイドの言ふ如く性慾の表象でなく、おそらく人類の發生期に於て、それらの巨怪な爬蟲類が地球上に繁盛し、憐れな頼りない弱者であつた我等の先祖を、絶えず脅かしてゐた爲であらう。人類の先祖は、一億萬年もの長い間、非力な頼りない動物として、酷烈な自然と鬪ひながら、不斷に他の強大な動物から脅かされ、生命の危險におびえわなないて居た。人間がその發育した理智によつて、自然の苛虐から自衞を講じ、次第に他の強敵を征服して、自らの文化と歴史とを作つたのは、極めて最近の事蹟であり、人類進化の悠遠な史上に於ては、殆んど言ふに足らない短日月の歴史にすぎない。我等の意識内容にある記憶の主座は、過去に最もながく人類の經驗した、樣々の恐ろしいこと、氣味の惡いこと、怯え戰つてることばかりである。人は夜の夢の中で、樹人や火人であつた頃の、先祖の古い記憶を再現し、いつも我等の生命を脅かして居たところの、妖怪變化
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