の恐ろしい姿や、得體の解らぬ怪獸やの、魑魅魍魎《ちみもうりよう》の大群に取り圍まれて魘されてゐる。人が本能的に闇黒を恐れるのも、それが敵から襲撃されるところの、最も恐ろしく氣味の惡い時であつたからだ。夢の中では、人間も萬物の靈長ではなく、馬や牛や動物と變りがない。或はもつとそれよりも、悲しく頼りない生物であるかも知れない。人間の夢の中に理智が現はれ、文化人としての記憶が表象されるのは、おそらく數千萬年の將來に屬するだらう。

心理學者の誤謬 夢の解釋について、多くの心理學者に共通する誤謬は、覺醒時に於ける半醒半夢の状態から、眞の昏睡時の夢を類推することである。夢が性慾の潛在意識であるといふフロイドの學説も、おそらくその同じ誤謬から出發してゐる。覺醒時に於ては、既に半ば意識が働き、夢を夢と意識することから、人は或る程度まで、夢を自分の意志によつて、自由にコントロールすることができるのである。そこでフロイドの説の如く、人はその日常生活で抑壓され、ふだんに内攻してゐる性の欲求を、おのづから夢の中に變貌して表象する。多くの人々にあつて「まだ醒めやらぬ明方の夢」が樂しいのは、つまり言つてこの事實を説明してゐる。なぜならフロイドの説によれば、夢は原則として「樂しいもの」であり、性の解放による饗宴でなければならないからだ。だが眞の昏睡時の夢は、概してあまり樂しいものではなく、むしろ性の解放とは關係がないところの、恐ろしいことや悲しいことが多いのである。
 ベルグソンの夢の説も、ひとしくまた同じ點で誤つてゐる。ベルグソンによれば、夢は身體の内外に於ける知覺の刺激――戸外の物音や、胃腸の重壓感や――によつて動因的に表象されるといふのである。彼はその例證として、戸外で吠える犬の聲から、大砲の音を表象し、それによつて戰爭の夢を見たと言つてる。覺醒時に於て、知覺が半ば目を醒ましてゐる時には、疑ひもなくその通りである。しかし意識が全く昏睡してゐる夢の中では、ベルグソンの説明が意味をなさない。おそらく夢の解説は、もつと不思議で解きがたく、謎の深い神祕の闇に低迷してゐる。

幼兒の夢 幼兒は絶えず夜泣きをし、何事かの夢に魘されておびえ[#「おびえ」に傍点]泣いてる。母の胎[#「胎」に「ママ」の注記]體を出たばかりの小さな肉塊。人間といふよりは、むしろ生命の神祕な原形質といふべき彼等は、夢の中に何
前へ 次へ
全5ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング